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展示のご案内

タムンザー

当博物館に展示している林産物の種類をご紹介します

タムン

タムン

自家用の薪をタムンといい、換金用の薪であるメーギと区別しました。タムンにする木は立ち枯れや伐り倒されて枯れた木の枝などで、 鎌の柄ほどの太さのものを選び、長さは100センチメートルほどでした。 タムンを束ねることをタバインとかマルクンといい、 山に自生しているカンダ(イルカンダ)を使いました。タムンとりは女性の仕事で、円柱形に束ねられたタムンは額からかけられたカシギジナで支え、 背中にのせて運びました。

メーギ

メーギ

メーギは換金用の薪の総称で、 アカサー(アカサメーギ)・ハリメーギ、メーギグヮー・ヒンスーメーギなどがありました。 スイナハ(首里や那覇)ではアカサーやハリメーギが高価で買えない家は メーギグヮーやヒンスーメーギを買いました。 ヒンスーメーギはメーギグヮーより小束で最も質の悪いメーギでした。 メーギグヮーやヒンスーメーギは山原の各家庭で使用する自家用の薪(タムン)と 同質で小束、結束の輪はワラジナ・カンダ・カーダキ(ホーライチク)などを使用しました。

アカサーメーギ(アカサー)

アカサーメーギ(アカサー)

アカサーはワイダムンともいい、青木をウーン(斧)で割ったメーギであり、 長さ1尺6寸ほどで、小束と中束があり、結束する輪はホーライチクをさいて作りました。 買う方にすれば燃焼効率の高い硬い木、すなわち、木質の色が白くない 赤や黒や黄色などの色のあるものがよく、 1束の中に色のあるものを2本以上混ぜなければなりませんでした。 しかし、ヤマアッチャーにしてみると色のある硬い木は重いので、 できるなら無色の軽い木の方が好都合でした。 東村のヤマアッチャーが最も多く扱った林産物はこのアカサーでした。

ハリメーギ(ウフタバヤー)

ハリメーギ(ウフタバヤー)

長さ2尺8寸で大束で、長さは年により多少の変動がありました。 ハリメーギを運搬するのは一般には女性で、それは2尺8寸の2倍 (タカーイギリ=2本に切る)の長さは女性が背負うのに 適当な長さであり、アカサーのように割らないですむ程度の細い丸太は、 遠くの山にいかなくとも近くから搬出できたからでした。

ヤマク(山工・角材)

ヤマク(山工・角材)

住宅建築用の角材のことで、樹種はおもにイジュでした。 10尺5寸、3寸5分角で、戦前は1本50銭でした。 ヤマクはウーン(斧)で木の側面を削るので、だれにもできるというものでもなく技術が必要でした。 戦前、川田のヤマアッチャーたちは沖縄本島中南部からヤマクの注文が大量にあると、 2~3人で組をつくり約1週間、山に寝泊まりして原木を倒し、 この場で角材にしました。注文の数量を仕上げると馬で搬出したり、かついで出したりしました。

マルター(丸太)

マルター(丸太)

丸太材にする木はシィジャーギー(イタジイ)が多く、戦前はよく売れました。 おもな用途は豚舎の建築用材などでした。

セイザイギー(製材木)

セイザイギー(製材木)

製材される木、あるいは製材された角材や板材のことで、 シィジャーギー(イタジイ)やイジュの木が多かったようです。 しかし、セイザイギー(山原材)も昭和27~28年ごろから南洋材や本土材に押されて 振るわなくなりました。

キチ

キチ

物干し竿程度の長さで、少し太く、建築材 (赤瓦、セメント瓦、茅葺き屋根の瓦や茅の下に敷く) やニガウリ、ヘチマなどを這わす棚づくりなどに使用しました。 樹種は、イーク、ユムラー、チャーギなどで、丈夫でない木のキチは価格も安く ジョーキギチと言い、イークギチの半値もしませんでした。 チャーギギチ、イークギチ(赤ギチ)、ユムラーギチは最良のキチで建築材として 利用され、山から運び出されたキチはタムンザー(ニーマー)で 5~6本を1束にして上下2カ所をイルカンダで縛り、 山原船に積み込まれました。

マルボー(サッポロ、サポート材)

マルボー(サッポロ、サポート材)

マルボーはコンクリートの家でスラブ打ちをするときに コンクリートを下から支えるために 使用した長い丸太のことです。

ユキダムン(ユイダムン)

ユキダムン(ユイダムン)

福地川が大水になると、上流からメーギになる木が流れてきました。 大雨の中で、福地、川田、平良の人たちは下流で流木を待ち受けてとり、 これを川田ではユキダムンといいました。

ヤマダキ(ヤンバルダキ)

ヤマダキ(ヤンバルダキ)

垣根づくりやヒンプンづくり、茅葺き屋根の下に敷く床などに使用しました。 また、ニガウリやヘチマをはわす棚づくりにも用いました。

参考文献
中村 保 著「びんびん」

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